ブラジリアン・ジャズ:魅力的なリズムとメロディーの複雑さ
ブラジルは、極めて早い時期からジャズに親しんでいた。現代史のアナイス・フレシェ教授によれば、「ジャズの最初の音色は、サンバが正式に誕生した数カ月後の1917年にリオで聞かれている」のだという。
アメリカのミュージシャンが初めてブラジルで演奏し始めたのは、1920年代のことだった。しかし、1920年代から1950年代、特に60年代にかけて、ブラジルの音楽シーンにジャズが与えた影響は否定できない。
1961年、ジャズ界の伝説的存在であるデューク・エリントンは、ブラジル公演中にサンバやボサノバといったブラジルのローカルリズムに魅了された。そして、サンバやボサノバといったブラジルの伝統的なリズムを自分の音楽に取り入れ、ブラジリアン・ジャズを世界に知らしめることとなった。コートダジュールの公演で、エラ・フィッツジェラルドがデューク・エリントン楽団と「Só Danço Samba」を歌ったシーンは忘れられない。
「ボサノバ・世界を魅了したブラジル音楽の物語」の著者であるルイ・カストロによると、「Só Danço Samba」は1962年にアントニオ・カルロス・ジョビンが作曲し、ヴィニシウス・デ・モラエスが作詞したボサノバ曲で、ボサノバのダンスの考案運動の一部であり、その試みは失敗したが、サンバ、ボサノバ、ジャズが融合したサウンドで極めてユニークで魅了される結果となった。
「ブラジリアン・ジャズの特徴は、魅力的なリズムとメロディの複雑さである。」
ブラジルのジャズを特別なものにしているのは、そのたまらなく魅力的なリズムとメロディーの複雑さだ。サンバやボサノバのシンコペーションのビートにジャズの即興演奏が重なり、豊かでダイナミックなサウンドを生み出している。また、ブラジルのジャズは、パンデイロ、ベリンバウ、カヴァキーニョといった伝統楽器の音色を取り入れることも多い。ブラジルの音楽家で社会科学者のガブリエル・インプロタは、「Africa in Words」の中でこう述べている。 「ブラジルで実践されている多くのスタイル(ジャズ、ダブ、サンバなど)の強さは、まさに、地域の文脈との整合性を失うことなく、様々な形態の音楽を作り融合させる能力から生まれている。」
アストリッド・ジルベルトが歌った「イパネマの娘」は、1964年夏の全米ポップス・シングル・チャートで5位を記録した。
ブラジルを代表するジャズアーティストには、アントニオ・カルロス・ジョビン、ジョアン・ジルベルト、スタン・ゲッツなどがいる。1960年代の彼らのコラボレーションは、ボサノバを世界に広めたレコードであり、ジャズアルバムの中で最も売れた作品(100万枚以上)の一つである「ゲッツ/ジルベルト」、1965年にグラミー賞の年間レコード賞を受賞した「イパネマの娘」など、史上最も愛されるジャズアルバムを生み出している。「イパネマの娘」はヴィニシウス・デ・モライスによって書かれ、DiscoverMusicのチャールズ・ワーリングによれば、アメリカをはじめとする世界でのボサノバ旋風のきっかけとなった象徴的な曲の英語版は、高名なソングライター、ノーマン・ジンベルが担当した。アストラッド・ジルベルトが「ささやくような、しかし蠱惑的な少女のような声」で歌ったこの曲は、1964年夏の全米ポップス・チャートで5位を記録した。
今日、ブラジルのジャズはかつてないほど活気に満ちている。ピアニストのアンドレ・メマリやアベリタ・マテウス、ギタリストのヤマンドゥ・コスタといった若いミュージシャンが伝統を受け継ぎながら、このジャンルの境界線を広げている。ブラジルのジャズフェスティバルや、サンパウロのJazzBのような象徴的なクラブは、世界中のファンを魅了し続けている。トニーニョ・フェハグッチ・クインテットとルパ・サンティアゴ5tetoは、JazzBでライブを行なっている。
まだの方は、ぜひOh!Jazzでお楽しみください!